添田康平(Kohei Soeda)

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Not yet refugees

2007 - 2011

四月にタボサンと連絡がとれなくなった。とにかく、タボサンが住む街に向かった。タボサンは難民だ。正確には難民の申請中。でも、僕とタボサンの間柄にはあまり重要な事ではない。ただ、一緒にいたいだけなのだ。僕とタボサンが会ったのは二年前。友達のゾウが紹介してくれた。タボサンさん。ゾウはそう言って少し笑った。僕らは色々な所に行って遊ぶ。タボサンは日本が嫌いと言う。だから僕は色々な所に遊びに誘う。タボサンはいつも暇をしているからいつでも誘うと来てくれる。タボサンは仕事をしたいけど難民申請中は仕事が出来ない。タボサンは日本に来た時すぐに入国管理局の収容所に8ヶ月拘束されていた。今は仮放免と呼ばれる一時的な保釈状況にいる。タボサンは辛いものが好きで七味唐辛子の瓶を丸ごと口の中に入れる事が出来る。それを見る度に僕は大きく笑う。タボサンは大量に汗をかき涙を浮かべる。きっと、タボサンも七味唐辛子の瓶を丸ごと口に入れる事は大変な事の様に思う。ただ、僕を楽しませてくれているのかもしれない。

タボサンは入管に収容されていた時、友達が少し出来た。僕とタボサンはその時の友達を一緒に訪ねに行く。ポピー、ヘルメナ、チョー、シャビー...多国籍な友達。みんな、仮放免中。山梨や埼玉、栃木に茨城。様々な所に散らばった友達を訪ねるのは旅行の様で楽しい。タボサンは自分の国の言葉を忘れかけている。多国籍な友達とは英語で会話をするからタボサンの母国語は殆ど使わない。ある日、タボサンが僕の家に来ると言った。家は駅から少し離れているからバスで向かうように言った。僕は自転車で来たから降りる停留所を伝えた。タボサンは日本語が分からないから○○○で降ろして下さいと運転手さんに頼んだ。バス停で待っているとタボサンは笑顔で降りてきた。運転手さんは何も言ってくれなかった。でも、大勢の乗客が『ここ、ここ!』と、教えてくれた。僕が運転手さんに伝えた事を周りの乗客が聞いていてタボサンに教えてくれた様だった。日本が嫌いと言っていたタボサンも最近は少しずつ変化が出てきた気がした。

タボサンの携帯電話にRHQ(難民事業本部)から電話がかかってきた。タボサンと話しがしたい人物がいると言う様な内容だった。タボサンはすぐにその人に電話をかけた。彼はリズーと言った。タボサンと同じ地域出身の様だ。彼も難民申請中で地方に友達二人で住んでいる。タボサンもこっちに来ないか?と言う事だった。RHQはタボサンが同じ地域の知り合いがいない事を知り紹介してくれたのだった。僕とタボサンは喜んだ。タボサンはヒンズー教、リズーはイスラム教、ノールはキリスト教。宗教が異なる三人は国で会う事は無い。でも、彼らは同じ境遇で日本にいる。そして、協力し合う。タボサンは彼らが住むアパートの上の階にRHQの援助の元、部屋を借りた。僕はある日、タボサンの新しい家に遊びに行った。あまり良い家とは言えない。駅から40分、六畳一間でユニットバスでキッチンも狭い。さらに、タボサンは二階の部屋は物置にして一階のリズー達の部屋で寝ている。大丈夫か聞くと、凄く楽しいと答えた。僕は安心してその日は狭い部屋で4人丸まって寝ることにした。

街に向かう途中、タボサンとの思い出を振り返っていた。タボサンのアパートに着くと誰もいない。その日は日曜日で近くの教会に行ってみた。30人くらいの男達の中にリズーを見つけて話しを聞いてみた。タボサンは入管に捕まりました。難民申請者達は月に一度、入国管理局に出向き仮りの滞在許可を貰いに行く義務がある。その時、理由はわからないけど収容された。彼らの生活は一様に不安定である。精神的な負担は大きい。僕は彼らといればいるほど、なにか心の支えがなければいけない事を肌で感じてきた。すぐに東京に戻り入国管理局に行く。面会の待合室にはとても沢山の外国人がいた。ガラスで仕切られた部屋にタボサンが来る。笑顔を見せてくれ少し安心した。僕達は会話をはじめた。家族には電話しているか、と、聞くと。してる。と答えた。でも、入管に捕まった事は秘密にしている。普通に仕事して、友達と遊んで楽しんでいる。と、答えた。タボサンは母親が心配するから、と嘘をついた。面会時間は終わり。その内、入管から封筒が届くようになった。テレフォンカードを持って来て。とタボサンからの手紙。封筒の中には手紙の他に絵も添えられている。

no Job
no Money
no Girl
no Problem

ヘンテコな絵だけど、毎回僕を楽しませてくれる。